2019年05月30日

みちくさファーム・田植え



みちくさファーム、いよいよ田植えのシーズン到来!







久々に行ってみたら、めっちゃいろんな生きものが増えてた!



お~~アサヒナカワトンボ!他にもヤゴがいっぱい!





何も放流してないし、種なんかも一切蒔いてない。でも自然って
すごいね。勝手にムラサキサギゴケがこんなに咲き乱れてたよ。



そして・・・めっちゃ来てほしい生きものが、来てくれてた!



ニホンアカガエルだ!都市の田んぼのカエルでもなく、山の渓流
のカエルでもない。人と自然が関わりあう場所・里山のカエル・・・

それがこのニホンアカガエルだ。全国各地でものすごく生息数が
減っていて、今や滅多に見ることができなくなってしまった。

それが、勝手に住みついてくれてたのだ。嬉しい。ホントに嬉しいよ。



手掘りの小さな池から水を引いて、小さな田んぼを2面作った。



もちろん代かきも手作業。



そしていよいよ、苗を植える。







無農薬、無肥料、不耕起。除草剤を使わない田んぼって、相当
草取りが大変なんだろうな。夏は草との戦いになるんだろう。
それでもその分、生きものたちはたくさんやって来てくれる。

ビオトープも兼ねた小さな田んぼ。秋の収穫が楽しみだ。
ま、どんぶり一杯分・・・くらいかもしれんけどね(笑)。
  


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2019年05月26日

初夏の鳥たち





久々のバードウォッチング。初夏の森で美しくさえずるのは、キビタキ
上手く、美しく歌うことがメスへのアピール。





パートナーを求めてたのかな?キジが平地をうろうろしてた。









一生懸命エサを探してたのは、セイタカシギ





セイタカシギもカップリングのシーズンだ。





つがいで仲良く水浴びしてた、キョウジョシギ



ハマシギに・・・



キアシシギ。この季節、干潟ではいろんな鳥たちが見られる。



そしてこの季節、海や川の河口で一生懸命エサを獲ってるのが・・・



コアジサシだ。



コアジサシは小さなカモメ。かなり数が減っている鳥だ。



この時期、彼らはホバリング&ダイビングしながら、必死にエサの
小魚を探す。もちろん自分でも食べるのだが、もうひとつ理由がある。









見事なダイビングで、小魚を捕まえた!そしてこのエサを・・・



浜で待つメスにプレゼントするのだ。喜んで受け取ってくれれば
カップル成立。これがコアジサシの求愛行動だ。

相手が食べやすいように、ちゃんと魚の頭の方を向けて差し出す
のが可愛い。プレゼントで気を引くって・・・なんだか人間と同じだね。

この時期見られる様々な野鳥たちの求愛行動。見てるとホント
微笑ましくなる。彼らはメスの気を引くために必死なのだ。

これってさぁ、人間の男どもも見習わないといかんよね!
  


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2019年05月22日

富士山こどもの国で自然教室



5月11日、富士山こどもの国。



めっちゃいい天気に恵まれた中、自然教室と
SBSラジオ・WASABIの公開生放送。



園内の池にはオタマジャクシがわんさか!



今や数が激減してしまった、ヒキガエルのオタマだった!



この日は「自然と防災」がテーマだったので、ビニール袋を
使った炊飯にみんなで挑戦。(あ、中に入ってる具はひじき。
オタマジャクシじゃないよ。)



園内の自然散策ではアケビの花を発見。



珍しいヤマシャクヤク



クリンソウもきれいに咲いてた。

あとこの日は、ニジマスのつかみ取りと調理も体験してもらった。
自分でつかんだニジマスを、頭を折ってしめて、ハラワタを指で
かき出して、焼いて食べる・・・。

恐る恐るの子供たちだったけど、みんな残さず完食。後日、番組
に届いたお便りに・・・「魚嫌いなうちの子が全部食べました。」
と書いてあった。・・・うん。この教室、やってよかった!!


  


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2019年05月18日

万葉の散歩道を歩く・その3



東山植物園の「万葉の散歩道」を歩くシリーズ、ラストは・・・



「妹待つと三笠の山の山菅(やますげ)の、止やまずや恋ひむ命死なずは」



「やますげ」とは、このジャノヒゲのこと。・・・あなたのことを待って、止むこと
なくいつまでも恋しています。私の命が続く限りは。・・・って意味の愛の歌。



「道の辺の茨(うまら)の末(うれ)に延(は)ほ豆の、からまる君を別れか
行かむ」・・・作者・丈部鳥(はせつかべのとり)。



ノイバラが登場する歌。道端のノイバラの先に絡みつく豆のように、私に
絡みつく君を置いて別れゆく、って意味なんだが・・・う~ん、重い。この女、
重い。ライトな令和の時代には見られない光景だわ。



「石綱(いわつな)のまた変若(おち)ちかへりあをによし、奈良の都をまたも
見むかも」・・・作者不詳。



諸説あるが、「いわつな」とはテイカカズラのことらしい。



「五月山(さつきやま)卯の花月夜ほととぎす、聞けども飽かずまた鳴かぬかも」



「卯の花」はウツギのこと。



「初春(はつはる)の初子(はつね)の今日の玉箒(たまばはき)、
手に取るからに、揺らく玉の緒」・・・作者・大伴家持。



コウヤボウキを表す「玉箒(たまばはき)」。大昔からこの植物は
ほうきとして使われてたってことだ。



吾妹子(わぎもこ)が見し鞆の浦(とものうら)のむろの木は、
常世(とこよ)にあれど見し人ぞなき」・・・作者・大伴旅人(おおとものたびと)。



「むろの木」とは、ネズのこと。とげとげした植物だ。

妻が見たことのある鞆の浦のむろの木は、いつまでも絶えることなくある
けれど、その妻はもういない・・・う~ん、せつない歌だ。また作者の名前が
「旅人(たびと)」って・・・。今で言う「遊助」みたいなもんか?違うか?違うな。



「道の辺(へ)の尾花が下の思ひ草、今さらさらに何をか思はむ」



この「思ひ草」とはナンバンギセルのことだと言われている。

思い悩むようにうつむいて咲く姿から名づけられたんだろう。ただこの
ナンバンギセルは葉緑素を持たない寄生植物であり、寄生されたイネ
科のイネやススキなどは、養分をとられて死んでしまうこともある。

・・・って考えると、ナンバンギセルを「思ひ草」としたのには、な~んか
深い意味があると思う。確かに身を滅ぼしてしまうような心焦がす恋愛
ってあるもんな。・・・知らんけど。いや知っとるけど。



「妹(いも)が見し楝(あふち)の花は散りぬべし、我が泣く涙いまだ干なくに」
・・・作者・山上憶良。おお~~有名な人やん!

「あふち」というのはセンダンのこと。実がよく鳥に食べられるやつね。

妻が見たセンダンの花はもう散ってしまうでしょう。私の涙はまだ
乾くことがないのに・・・。どうした?何があった?・・・と思って調べたら、
大伴旅人(おおとものたびと)の妻の死に対して、山上憶良が贈った
追悼の歌、ということだった。合掌。

さぁそして最後は秋の七草、いってみよう。



「高円(たかまと)の野辺の秋萩いたづらに、咲きか散るらむ見る人なしに」
・・・万葉集に最も多く登場する植物が、梅でも桜でもなく、ハギ



「真葛原(まくずはら)靡(なび)く秋風吹くごとに、阿太(あだ)の大野の
萩の花散る」・・・ハギ同様、クズが登場する歌もめっちゃ多い。



「さを鹿の入野の薄(すすき)初尾花(をばな)、いつしかか妹(いも)が
手を枕かむ」・・・ススキの歌もすげー多いんだよなぁ。

じゃあラストは残り4種類、イッキにいきませう。

「萩の花、尾花(をばな)葛花(くずはな)なでしこの花、
をみなへし、また藤袴(ふぢはかま)朝顔の花」・・・作者・山上憶良。


(カワラナデシコ)


(オミナエシ)


(フジバカマ)


(キキョウ。この歌の朝顔はキキョウのこと。)

この歌にすべて登場。山上憶良が万葉集で日本の代表的な秋
の7種の花を詠んだことで、「秋の七草」が決まったわけだ。

しかし昨今、野生の秋の七草すべてを探すことは極めて難しく
なってしまった。日本を代表する花たちだったのに・・・。

いかがでしたか?3回に渡ってお送りしてきた、祝!令和企画、
万葉集と植物たち。
万葉集に収められた和歌は4500あまり。その3分の1の歌に、
なんらかの花や木々が登場する。

当時の人々が、いかに自然を愛していたかがわかる数字だと思う。
やっぱり自然は、ドラマチックかつ、ロマンチックなのだ。

そんないにしえの人々の想いを感じながらの散歩道・・・。
みなさんも一度、歩いてみてはいかが?

  


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2019年05月13日

万葉の散歩道を歩く・その2



名古屋市・東山植物園にある「万葉の散歩道」を歩き、
古の人々の思いに触れるシリーズ、その2。



「君なくは、なぞ身装はむくしげなる、黄楊(つげ)の小櫛(をぐし)
を取らむとも思はず」・・・・・作者: 播磨娘子(はりまのおとめ)。



あなた様がいらっしゃらないなら、どうして身を装ったりするでしょうか。
櫛箱(くしばこ)の黄楊(つげ)の小櫛も手に取ろうとは思いません・・・。

ん~~。なかなかにせつない恋歌である。



「物部(もののふ)の八十(やそ)娘子(おとめ)らが、汲み乱(まが)ふ、
寺井の上の、堅香子(かたかご)の花」・・・・作者・大伴家持(やかもち)。

堅香子(かたかご)とはカタクリのことと言われている。
可憐な花であるカタクリは、当然万葉集にいっぱい出てくる
かと思いきや、意外にも実はこの一首にしか登場しない。



時期が遅いので、この季節はこんな感じだが・・・・



3月下旬の花期はこんなに美しい。ついつい一首、詠みたくなるね。



「春さればまづ三枝(さきくさ)の幸(さき)くあらば、後にも会はむ
な恋ひそ我妹(わぎも)」・・・・・作者・柿本人麻呂。



「さきくさ」とは何か。その候補のひとつがイカリソウ

春になったら咲くさきくさのように、幸い無事でいたならまた逢える。
だからあまり恋心に苦しまないでね、私の恋しい人よ・・・って意味。

これも胸キュンな恋歌だね。我が妹、とあるが、これは恋人のことらしい。
ただイカリソウは強壮剤として有名な植物。(イカリソウエキスとかあるし)。
だから考えようによっちゃエロス含まれてる??いやそんなことねーわな。



「朝(あした)咲き夕(ゆふべ)は消(け)ぬる、鴨頭草(つきくさ)の、
消(け)ぬべき恋も我れはするかも」・・・・・作者は不明。



つきくさとはツユクサのこと。朝に咲いて夕方にはしぼんでしまう月草の
ような、身も心も消え入りそうな恋を、私はするのでしょう。 ・・・という意味。

・・・おいおい。めっちゃラブソングやないか。ほぼ、テレサテンやないか。



「磯の上に生(を)ふる馬酔木(あしび)を手(た)折らめど、見すべき君が、
在りと言はなくに」・・・・・作者:・大伯皇女(おおくのひめみこ)。



アセビは万葉集の中でかなり詠まれている植物。岩のほとりのアセビを
折ってあなたに見せたいのに、もう誰もあなたが居ると言ってはくれない・・・。

・・・おいおい。これもがっつりラブソングやないか。ほぼ、欧陽菲菲やないか。



「奥山の樒(しきみ)が花の名のごとや、しくしく君に恋ひわたりなむ」
・・・作者・大原真人今城(おおはらのまひといまき)。



奥山のしきみの花の名のように、しくしく(何度も)あなたのことを思い
続けることでしょうか・・・。

大原今城(おおはら の いまき)は、奈良時代の皇族・貴族なんだが、
当然この人、男。それが「しくしく」て。・・・・女々しい。RADWIMPSか!



「蝦(かはづ)鳴く神奈備(かんなび)川に影見えて、今か咲くらむ山吹の花」





春のヤマブキ、きれいだよね。あと「蝦(かはづ)」ってカエルのことなんだ
けど、きれいな川のカエルってことは、たぶんカジカガエルのことだと思う。



「古(いにしえ)に恋ふる鳥かも弓絃葉(ゆづるは)の、御井(みい)の上より
鳴き渡り行く」・・・・作者・弓削皇子(ゆげのみこ)。



弓絃葉(ゆづるは)とはユズリハのこと。昔のことを恋しく慕う鳥なんだろう、
ユズリハの樹のある御井の上を通って、鳴きながら飛んで行く、って意味。

弓削皇子が額田王に贈った歌で、この鳥はホトトギスだそうだ。



「春さればまづ三枝(さきくさ)の幸(さき)くあらば、後にも会はむ
な恋ひそ我妹(わぎも)」・・・・・作者・柿本人麻呂。

あれ??コレさっきも出てきたじゃん??



「さきくさ」とは?・・・さっきのイカリソウも候補のひとつだが、このミツマタ
名前の通り、枝が三つに分かれていて、三枝(さきくさ」と呼ばれていた。

先述したようにこの歌は「あまり恋心に苦しまないでね」って内容なんだけど、
・・・もしかしてこの人、3人のおねーちゃんとつき合ってたからミツマタを題材
にしたのか??・・・そんなことないわな。ごめん柿本人麻呂。



さて今回も、万葉集に登場するいろんな植物を見てまいりました。
4500以上の歌が収められた万葉集。その3分の1に植物が出てくる。
昔の人はホントに花や木々を愛でてたんだね。・・・次回、シリーズ最終回。
  


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2019年05月05日

祝令和!万葉の散歩道を歩く

「初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は
珮後の香を薫す。」・・・・新元号・令和の出典元となった万葉集。



改元直前、名古屋市・東山植物園に行ってきた。



この時期、シャガの花がとってもきれい。



今回訪れた目的は、この道を歩くこと。園内にある「万葉の散歩道」。



のんびり散策できて、めっちゃ気持ちいい道。ここを歩くと、その昔
万葉の歌に詠まれた様々な植物に出会うことができる。



最初の看板に書かれてたのは、
「巨勢山のつらつら椿つらつらに、見つつ思はな巨勢の春野を」



坂門人足(さかとのひとたり)という人が、巨勢山(こせやま)の
春に咲く椿の美しさを詠んだ歌。・・・こんな感じでいろいろ見てみよう。



「かきつばた衣に摺り付け大夫の、着襲ひ猟する月は来にけり」



大伴家持(おおとものやかもち)の歌。かきつばたを衣(きぬ)に摺り
付けて、大夫(ますらを)が着重ねて狩りをする、そんな月が来た・・・

どうやらこの狩りというのは、「薬草狩り」のことらしい。



「気(いき)の緒に思へる我れを山ぢさの、花にか君がうつろひぬらむ」



「山ぢさ」とは、エゴノキのこと。(イワタバコという説もあり。)

私はあなたのことを命の限り想っているのに、あなたは山ぢさの花が
すぐにしぼんでしまうように、心変わりしてしまわれたのでしょうか・・・・

作者は不詳だが、なかなかの失恋ソングだ。・・・う~ん、せつない。

このように万葉集には恋の歌あり、政治の歌あり、死者を悼む歌あり。
エラい方から下々の者まで、広く当時の日本人の心の内が感じられて
めっちゃ面白くて興味深い世界なのだ。



「からたちと茨刈り除け倉建てむ、屎(くそ)遠くまれ、櫛造る刀自(とじ)」



からたちとノイバラ刈り除いて蔵を建てるから、屎(くそ)は離れたところ
でしてちょーだいね、櫛(くし)を作るお姉さん!・・・・って意味。

作者・忌部首(いむべのおびと)。・・・・いや、下ネタやん!なにコレ!?
万葉集ってホントに、高尚なものから下品なものまで、懐が深い。



でもこの歌、もしかしたらかなり「優しさ」が込められた歌かもしれない。

これはからたちのトゲ。外でいたすことが当たり前だった当時、女子の
ために、鋭いトゲを持つからたちやノイバラは刈り取ってあげよう・・・・
っていう、優しいお金持ちのおっさんの心情を歌ったのかもね。



「家にあれば笥に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る」

家にいると器によそうご飯を、今は旅の途中なのでの葉に盛ります。
・・・って内容。
詠み人、有間皇子(ありまのみこ)。この人は中大兄皇子に対し謀反
をたくらんでいたのだが、裏切りに遭い計画がばれて捕まってしまう。
この句に詠まれている「旅」とは、護送されている時のことなのだ。

う~ん。そう考えるとなんとも悲しい歌である。



ちなみに東山植物園の万葉の散歩道では、この歌に出てくるシイを、
スダジイ」としている。(この看板の横にスダジイが植樹されてる。)

確かにひとくちにシイと言ってもいろんな種類がある。・・・しかし、同じ
有間皇子が歌った、



「磐白(いはしろ)の浜松が枝(え)を引き結び、ま幸(さき)くあらばまた帰り
見む」
磐代の浜にある松の枝を結んだ。運よく無事であったなら、また帰りに
この枝を見よう。・・・という意味。同じく護送中に詠んだ歌である。



浜辺なので、この松はアカマツではなくクロマツだと考えられる。同じ
理由で、この情景を想像すると、前述のシイの種類もわかってくる。

海岸沿いに多いのはスダジイではなく、マテバシイ

たぶんそうだと思う。さらに、「飯を椎の葉に盛る」とあるが、スダジイの
葉は小さ過ぎて、ごはんを盛ることはまずムリ。けれどもマテバシイは・・・



葉っぱが大きいので、十分ごはんを乗っけることができる!
いや~~、やっぱどう考えてもこっちでしょ!

ちなみに当時は、松の枝を結んで幸運を祈るという風習があったらしい。
しかし、その願いもむなしく、彼は18歳で処刑され、この世を去ってしまう
のだった。・・・・あぁせつない。この歌はそんな悲しい物語だったのだ。



いかがでした?万葉集って意味を知ると、愛、別れ、喜び、悲しみ・・・・
ホントに様々な人間ドラマが描かれてることがわかるよね。

そんないにしえの人々の想いを感じながら、万葉の散歩道を歩く・・・。
コレ、かなりロマンチックな散歩になると思う。・・・次回もこの続き。
  


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