2019年05月05日
祝令和!万葉の散歩道を歩く
「初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は
珮後の香を薫す。」・・・・新元号・令和の出典元となった万葉集。
改元直前、名古屋市・東山植物園に行ってきた。
この時期、シャガの花がとってもきれい。
今回訪れた目的は、この道を歩くこと。園内にある「万葉の散歩道」。
のんびり散策できて、めっちゃ気持ちいい道。ここを歩くと、その昔
万葉の歌に詠まれた様々な植物に出会うことができる。
最初の看板に書かれてたのは、
「巨勢山のつらつら椿つらつらに、見つつ思はな巨勢の春野を」
坂門人足(さかとのひとたり)という人が、巨勢山(こせやま)の
春に咲く椿の美しさを詠んだ歌。・・・こんな感じでいろいろ見てみよう。
「かきつばた衣に摺り付け大夫の、着襲ひ猟する月は来にけり」
大伴家持(おおとものやかもち)の歌。かきつばたを衣(きぬ)に摺り
付けて、大夫(ますらを)が着重ねて狩りをする、そんな月が来た・・・
どうやらこの狩りというのは、「薬草狩り」のことらしい。
「気(いき)の緒に思へる我れを山ぢさの、花にか君がうつろひぬらむ」
「山ぢさ」とは、エゴノキのこと。(イワタバコという説もあり。)
私はあなたのことを命の限り想っているのに、あなたは山ぢさの花が
すぐにしぼんでしまうように、心変わりしてしまわれたのでしょうか・・・・
作者は不詳だが、なかなかの失恋ソングだ。・・・う~ん、せつない。
このように万葉集には恋の歌あり、政治の歌あり、死者を悼む歌あり。
エラい方から下々の者まで、広く当時の日本人の心の内が感じられて
めっちゃ面白くて興味深い世界なのだ。
「からたちと茨刈り除け倉建てむ、屎(くそ)遠くまれ、櫛造る刀自(とじ)」
からたちとノイバラ刈り除いて蔵を建てるから、屎(くそ)は離れたところ
でしてちょーだいね、櫛(くし)を作るお姉さん!・・・・って意味。
作者・忌部首(いむべのおびと)。・・・・いや、下ネタやん!なにコレ!?
万葉集ってホントに、高尚なものから下品なものまで、懐が深い。
でもこの歌、もしかしたらかなり「優しさ」が込められた歌かもしれない。
これはからたちのトゲ。外でいたすことが当たり前だった当時、女子の
ために、鋭いトゲを持つからたちやノイバラは刈り取ってあげよう・・・・
っていう、優しいお金持ちのおっさんの心情を歌ったのかもね。
「家にあれば笥に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る」
家にいると器によそうご飯を、今は旅の途中なので椎の葉に盛ります。
・・・って内容。
詠み人、有間皇子(ありまのみこ)。この人は中大兄皇子に対し謀反
をたくらんでいたのだが、裏切りに遭い計画がばれて捕まってしまう。
この句に詠まれている「旅」とは、護送されている時のことなのだ。
う~ん。そう考えるとなんとも悲しい歌である。
ちなみに東山植物園の万葉の散歩道では、この歌に出てくるシイを、
「スダジイ」としている。(この看板の横にスダジイが植樹されてる。)
確かにひとくちにシイと言ってもいろんな種類がある。・・・しかし、同じ
有間皇子が歌った、
「磐白(いはしろ)の浜松が枝(え)を引き結び、ま幸(さき)くあらばまた帰り
見む」
磐代の浜にある松の枝を結んだ。運よく無事であったなら、また帰りに
この枝を見よう。・・・という意味。同じく護送中に詠んだ歌である。
浜辺なので、この松はアカマツではなくクロマツだと考えられる。同じ
理由で、この情景を想像すると、前述のシイの種類もわかってくる。
海岸沿いに多いのはスダジイではなく、マテバシイ。
たぶんそうだと思う。さらに、「飯を椎の葉に盛る」とあるが、スダジイの
葉は小さ過ぎて、ごはんを盛ることはまずムリ。けれどもマテバシイは・・・
葉っぱが大きいので、十分ごはんを乗っけることができる!
いや~~、やっぱどう考えてもこっちでしょ!
ちなみに当時は、松の枝を結んで幸運を祈るという風習があったらしい。
しかし、その願いもむなしく、彼は18歳で処刑され、この世を去ってしまう
のだった。・・・・あぁせつない。この歌はそんな悲しい物語だったのだ。
いかがでした?万葉集って意味を知ると、愛、別れ、喜び、悲しみ・・・・
ホントに様々な人間ドラマが描かれてることがわかるよね。
そんないにしえの人々の想いを感じながら、万葉の散歩道を歩く・・・。
コレ、かなりロマンチックな散歩になると思う。・・・次回もこの続き。
珮後の香を薫す。」・・・・新元号・令和の出典元となった万葉集。
改元直前、名古屋市・東山植物園に行ってきた。
この時期、シャガの花がとってもきれい。
今回訪れた目的は、この道を歩くこと。園内にある「万葉の散歩道」。
のんびり散策できて、めっちゃ気持ちいい道。ここを歩くと、その昔
万葉の歌に詠まれた様々な植物に出会うことができる。
最初の看板に書かれてたのは、
「巨勢山のつらつら椿つらつらに、見つつ思はな巨勢の春野を」
坂門人足(さかとのひとたり)という人が、巨勢山(こせやま)の
春に咲く椿の美しさを詠んだ歌。・・・こんな感じでいろいろ見てみよう。
「かきつばた衣に摺り付け大夫の、着襲ひ猟する月は来にけり」
大伴家持(おおとものやかもち)の歌。かきつばたを衣(きぬ)に摺り
付けて、大夫(ますらを)が着重ねて狩りをする、そんな月が来た・・・
どうやらこの狩りというのは、「薬草狩り」のことらしい。
「気(いき)の緒に思へる我れを山ぢさの、花にか君がうつろひぬらむ」
「山ぢさ」とは、エゴノキのこと。(イワタバコという説もあり。)
私はあなたのことを命の限り想っているのに、あなたは山ぢさの花が
すぐにしぼんでしまうように、心変わりしてしまわれたのでしょうか・・・・
作者は不詳だが、なかなかの失恋ソングだ。・・・う~ん、せつない。
このように万葉集には恋の歌あり、政治の歌あり、死者を悼む歌あり。
エラい方から下々の者まで、広く当時の日本人の心の内が感じられて
めっちゃ面白くて興味深い世界なのだ。
「からたちと茨刈り除け倉建てむ、屎(くそ)遠くまれ、櫛造る刀自(とじ)」
からたちとノイバラ刈り除いて蔵を建てるから、屎(くそ)は離れたところ
でしてちょーだいね、櫛(くし)を作るお姉さん!・・・・って意味。
作者・忌部首(いむべのおびと)。・・・・いや、下ネタやん!なにコレ!?
万葉集ってホントに、高尚なものから下品なものまで、懐が深い。
でもこの歌、もしかしたらかなり「優しさ」が込められた歌かもしれない。
これはからたちのトゲ。外でいたすことが当たり前だった当時、女子の
ために、鋭いトゲを持つからたちやノイバラは刈り取ってあげよう・・・・
っていう、優しいお金持ちのおっさんの心情を歌ったのかもね。
「家にあれば笥に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る」
家にいると器によそうご飯を、今は旅の途中なので椎の葉に盛ります。
・・・って内容。
詠み人、有間皇子(ありまのみこ)。この人は中大兄皇子に対し謀反
をたくらんでいたのだが、裏切りに遭い計画がばれて捕まってしまう。
この句に詠まれている「旅」とは、護送されている時のことなのだ。
う~ん。そう考えるとなんとも悲しい歌である。
ちなみに東山植物園の万葉の散歩道では、この歌に出てくるシイを、
「スダジイ」としている。(この看板の横にスダジイが植樹されてる。)
確かにひとくちにシイと言ってもいろんな種類がある。・・・しかし、同じ
有間皇子が歌った、
「磐白(いはしろ)の浜松が枝(え)を引き結び、ま幸(さき)くあらばまた帰り
見む」
磐代の浜にある松の枝を結んだ。運よく無事であったなら、また帰りに
この枝を見よう。・・・という意味。同じく護送中に詠んだ歌である。
浜辺なので、この松はアカマツではなくクロマツだと考えられる。同じ
理由で、この情景を想像すると、前述のシイの種類もわかってくる。
海岸沿いに多いのはスダジイではなく、マテバシイ。
たぶんそうだと思う。さらに、「飯を椎の葉に盛る」とあるが、スダジイの
葉は小さ過ぎて、ごはんを盛ることはまずムリ。けれどもマテバシイは・・・
葉っぱが大きいので、十分ごはんを乗っけることができる!
いや~~、やっぱどう考えてもこっちでしょ!
ちなみに当時は、松の枝を結んで幸運を祈るという風習があったらしい。
しかし、その願いもむなしく、彼は18歳で処刑され、この世を去ってしまう
のだった。・・・・あぁせつない。この歌はそんな悲しい物語だったのだ。
いかがでした?万葉集って意味を知ると、愛、別れ、喜び、悲しみ・・・・
ホントに様々な人間ドラマが描かれてることがわかるよね。
そんないにしえの人々の想いを感じながら、万葉の散歩道を歩く・・・。
コレ、かなりロマンチックな散歩になると思う。・・・次回もこの続き。
Posted by mikihito at 20:42│Comments(0)
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