東日本、2012
先日行われた大阪でのイベント。阪神淡路大震災の被災者のみなさんと、
東日本大震災の被災者のみなさんが同じ会場に集まった。
岩手から来てくれた「さんさ踊り」のみなさん。参加者全員で踊った。
「東日本へ届け」の思いを込めてみんなで作ったうちわ。
俺も復興のシンボル、鉄人28号を書いてみた。
ちょうど同じ時、偶然にも友人・林正道が東北に行っていた。彼から送られてきた
写真を載せておく。まずこれは震災直後の青森県八戸・蕪島から見下ろした港。
今年、同じ場所。復興の様子を見てほしい。
路上に打ち上げられた船。
1年後の光景。
岩手県・久慈にある石油備蓄基地。
その1年後。
仙台市・荒浜地区の農家。震災直後、それでもおじいちゃんは野菜を
植えていた。塩害でダメになる可能性が高かったのに。・・・けれども、
今年、それは見事に育っていた。
阪神淡路大震災からの復興、そして東日本大震災からの復興。・・・人々の、強さ。
林からのメール。
あの時は、もう戻らないと誰もが思った。あまりに大惨事だったから。津波で
命は奪われなかったが、港そのものを、船を、生きる糧を失って、自ら命を
絶った方もいた。あれから一年ちょっと。人は、やるもんだ。生きていくために。
着実に進む被災地の復興。・・・ところが、福島県に入ると様相が一変する。
「天災」と「人災」に分かれた場所。
ようやく置かれた花。これが福島の、今。
林からのメール。
子供達もストレスがたまっていたようだ。みんな遊びたかったのだ。はじめは
水道水を入れたプールに人が集まってくれるか?なんて不安もあった。
なぜなら、警戒地域をとかれたとは言え、まだ水道水に抵抗がある。けれど
青空と笑顔が、そんな心配吹き飛ばしてくれた。一人笑えば、次々笑う。
でも、漁師のお父さんが言った。帰ってきても、海はダメ。
だから漁にも出れない。生きていけない。と。
林からのメール。
準備など手伝ってくれた南相馬市の方々。明るいのだ。いまだ震災当初と
変わらない状況で、住むことが許されただけなのに。明るい。
今回、青森から岩手、宮城、福島と廻ってきたが、既に復興した所、順調に
進む所、まだまだの所と様々だったが、僕の支援旅行は今回で終わりに
しようと思う。
もうこちらから笑顔を運ばなくても、みんな笑顔になろうとしていた。
少しだけ、余裕も出てきた。なんと今回、青森では、子供達が募金をして、
僕の交通費にと渡してくれた。とうとう、支援されてしまった。嬉しかった。
みんな笑顔だったから。
だけど、福島をはじめとしたこれからの支援、どうしていったらよいのか。
放射能を消す方法は??これからが、肝心のようだ。
そしてこれが現在の、相馬港の海の中の様子である。
林からのメール。
今入れない、海中の映像。一緒に見てくれた漁師さんたちは、海草やホヤ、
沢山の命を見て安心していた。なかなか魚は映らないが、間違いなくいるし、
沢山の海草たちが、確実に海を戻してくれる。と言っていた。生物たちは、
命を犠牲にしたものもいたが、確実に生き、環境を護っていく。
それが例え、人間がしたことでも。
・・・以上、今回彼から送られてきた写真と文の一部を紹介した。
写真から伝わる被災地の現状。人は間違いなく、力強く歩みを続けていることが
わかる。・・・・・けれどもその道のりは、まだまだ、遠い。