三重県磯部町・伊勢志摩国立公園内にある「
天の岩戸」。
古事記に登場する有名な神話、天照大神(あまてらすおおみかみ)が須佐之男尊
(すさのおのみこと)の悪事を戒めるために、自ら引きこもった、とされる場所。
これがその洞穴だ。天宇受賣命(あめのうずめ)が神々を笑わせ、天照大神を
導き出すまで、この世は闇に覆われ、禍にあふれていた。
そういった意味では、天宇受賣命は我々
タレントの「祖」といえるんだろうなぁ。
ところで「天の岩戸」と呼ばれる場所は全国にいくつかある。
京都、滋賀、岡山、徳島、そしてなんと、沖縄にも伝説はあるらしい。
中でもやはり宮崎・高千穂町の天岩戸は別格だろう。さすが国造りの町である。
けれどもここ、三重の天の岩戸も、その神聖さと厳かさでは他に負けてはいない。
なんせお伊勢さんのすぐ近くだ。歴史が物語として、日本人の魂にジンジン
染み込んでくる気がするのだ。
慣習として、しきたりとして、日本人の魂の中に染み込んでいるもの・・・。
それがこの「
禊滝」(みそぎだき)である。その名の通り、禊ぎをするための滝。
伊勢街道沿いには「
祓川」(はらいがわ)という川もある。
太古より日本人は、自分の身の「
ケガレ」を落とすために「
ミソギ」をしてきた。
ケガレとは、洗っても落ちないものであり、ヨゴレ、とは違う。ヨゴレは肉体的
なものであるが、ケガレは精神的なもの。それを清め、祓い落とすのが、ミソギ
である。
そしてまさしく、そこから生まれた日本人ならではの考え方、それが・・・
「
水に流す」。
もう終わったことなんだから。謝罪もしたし、禊ぎも済んだんだから、いいじゃん。
過去のことは・・・水に流そうよ。・・・これが我々日本人の根底にある考え方だ。
ところが、お隣の国の朝鮮民族にこの考えはまったくない。むしろ逆である。
それが「
恨」(ハン)の精神。漢字で書くとなんだか日本人の方が潔くて、韓国人
だけがいつまでもネチネチ恨んでて・・・って思えてくるが、ただこの「ハン」とは
決してネガティブなだけのものではなく、むしろこれこそが韓国人のパワーの源の
ひとつかもしれない。このあたりは井沢元彦氏の本に詳しく書いてある。
話はそれるけど、それはコリアンムービーにも顕著に現れてると思う。
悪魔を見た、オールドボーイ、アジョシ、親切なクムジャさん・・・こういった壮絶
な復讐劇は、日本人の監督と役者ではとても作れないだろう。
つまり、民族としての「
魂の浄化機能」が違いすぎるのだ。
けれども日韓が対立したままの情勢は、双方にとって不幸なことである。
スワップ協定は破棄すべきだと思うが。
今回の愚行は、李明博という、とても一国を束ねる力も度量もない、1人の政治
家が自らの保身のために犯した罪であり、その怒りの矛先を在日の人々や、韓
国民全体に向けるべきではない。それこそ潔い国・日本の愚行となってしまう。
ただ・・・こんなこと言っちゃ終わりかも知れんが、アイデンティティーの共有、
なんて、どだいムリなことなんだろう。片や「過去は水に流す」民族で、片や
「過去は忘れない民族」。ここまで思想や慣習が違うワケだから。
竹島も、従軍慰安婦問題も、解決せんだろう。この2つは韓国にとって、いざっ
て時の自国のナショナリズムを煽る切り札であるし、そもそも日本では2つとも
すでに「解決済み」事案なんだから。
日本と韓国。(あと中国と北朝鮮も含め。)今後どうなっていくんだろう。
もちろん手に手を取り合い、仲良くやっていくのが一番なんだが、そりゃムリだ。
だとすれば、経済連携しかないんだろうな。
イデオロギーよりも、実利。
・・・八百万の神々が揃って討論しても、開けることができなかった天岩戸。
・・・それを開けさせ、世に光を取り戻したのは、アメノウズメの舞いだった。
現代のアメノウズメは果たして、KARAか、それとも少女時代か。
・・・・・あ。こんなこと書くとまた怒られちゃうか。