2012年05月22日

東日本、2012

先日行われた大阪でのイベント。阪神淡路大震災の被災者のみなさんと、
東日本大震災の被災者のみなさんが同じ会場に集まった。

東日本、2012

岩手から来てくれた「さんさ踊り」のみなさん。参加者全員で踊った。

東日本、2012

「東日本へ届け」の思いを込めてみんなで作ったうちわ。
俺も復興のシンボル、鉄人28号を書いてみた。

東日本、2012

ちょうど同じ時、偶然にも友人・林正道が東北に行っていた。彼から送られてきた
写真を載せておく。まずこれは震災直後の青森県八戸・蕪島から見下ろした港。

東日本、2012

今年、同じ場所。復興の様子を見てほしい。

東日本、2012

路上に打ち上げられた船。

東日本、2012

1年後の光景。

東日本、2012

岩手県・久慈にある石油備蓄基地。

東日本、2012

その1年後。

東日本、2012

仙台市・荒浜地区の農家。震災直後、それでもおじいちゃんは野菜を
植えていた。塩害でダメになる可能性が高かったのに。・・・けれども、

東日本、2012

今年、それは見事に育っていた。

阪神淡路大震災からの復興、そして東日本大震災からの復興。・・・人々の、強さ。

東日本、2012

林からのメール。

あの時は、もう戻らないと誰もが思った。あまりに大惨事だったから。津波で
命は奪われなかったが、港そのものを、船を、生きる糧を失って、自ら命を
絶った方もいた。あれから一年ちょっと。人は、やるもんだ。生きていくために。


東日本、2012

着実に進む被災地の復興。・・・ところが、福島県に入ると様相が一変する。

東日本、2012

「天災」と「人災」に分かれた場所。

東日本、2012

東日本、2012

東日本、2012

ようやく置かれた花。これが福島の、今。

東日本、2012

林からのメール。

子供達もストレスがたまっていたようだ。みんな遊びたかったのだ。はじめは
水道水を入れたプールに人が集まってくれるか?なんて不安もあった。
なぜなら、警戒地域をとかれたとは言え、まだ水道水に抵抗がある。けれど
青空と笑顔が、そんな心配吹き飛ばしてくれた。一人笑えば、次々笑う。

でも、漁師のお父さんが言った。帰ってきても、海はダメ。
だから漁にも出れない。生きていけない。と。


東日本、2012

林からのメール。

準備など手伝ってくれた南相馬市の方々。明るいのだ。いまだ震災当初と
変わらない状況で、住むことが許されただけなのに。明るい。

今回、青森から岩手、宮城、福島と廻ってきたが、既に復興した所、順調に
進む所、まだまだの所と様々だったが、僕の支援旅行は今回で終わりに
しようと思う。

もうこちらから笑顔を運ばなくても、みんな笑顔になろうとしていた。
少しだけ、余裕も出てきた。なんと今回、青森では、子供達が募金をして、
僕の交通費にと渡してくれた。とうとう、支援されてしまった。嬉しかった。
みんな笑顔だったから。

だけど、福島をはじめとしたこれからの支援、どうしていったらよいのか。
放射能を消す方法は??これからが、肝心のようだ。


東日本、2012

そしてこれが現在の、相馬港の海の中の様子である。

東日本、2012

林からのメール。

今入れない、海中の映像。一緒に見てくれた漁師さんたちは、海草やホヤ、
沢山の命を見て安心していた。なかなか魚は映らないが、間違いなくいるし、
沢山の海草たちが、確実に海を戻してくれる。と言っていた。生物たちは、
命を犠牲にしたものもいたが、確実に生き、環境を護っていく。
それが例え、人間がしたことでも。


・・・以上、今回彼から送られてきた写真と文の一部を紹介した。

写真から伝わる被災地の現状。人は間違いなく、力強く歩みを続けていることが
わかる。・・・・・けれどもその道のりは、まだまだ、遠い。



この記事へのコメント
読んでたら涙出ました。
復興にむけ少しずつではありますが、変わってきましたね。
海の生き物達、少しずつ近くに戻ってきてくれる事を願います。
海は繋がっているから大丈夫ですよね‼
豊橋のボランティアさんから、林さんの事をお聞きしました。皆さん喜んでくれて、良かったですね。
Posted by たえ at 2012年05月22日 22:45
復興支援の本番はこれからですね。
皆があの日を忘れずに、協力し合い大きな輪となって、
これからも助け合っていきたいものですね(*^。^*)

未来明るい子供たちのためにも!!
「ONE FOR ALL、ALL FOR ONE!!」
Posted by HTK at 2012年05月23日 10:36
鉄崎くん、掲載ありがとう。皆さん、短いような長いような一年ちょっと、応援ありがとうございました。 僕がやらなくちゃあ、とはじめた、笑顔支援は、これで終了します。 壊れた物は、やがて元に戻りますが、僕の中で、一番大切な復興は、心でした。 復興のため、生きるため、そこに、笑顔になれる心が復興していないと、何もはじまらない。そう感じたからでした。今だ、震災当時のまま、時を止められた町もあります。でも、確実に、心の復興は進んでいます。目に見える物は、たかが、物質にすぎません。目に見えないもの、心。だからこそ、大切なんだと思います。しかし、今、同じように、目に見えない、原発事故の恐怖、脅威に対し、本気で復興の必要を感じています。ひょっとしたら、これも、僕らの中にある、見えない心の問題なのかもしれません。まだまだ、頑張ります。
Posted by 海洋楽研究所 林正道です。 at 2012年05月23日 11:25
 皆さん、憶えておられますか?
 原発事故からしばらくたって、やっと釈明に現れた東電のエライさんに
 「私、子供産めますか」って訊いた少女の事。(私も怪しいものです)  
 
 あの少女が無事やさしい母になり、青森のこどもたちや南相馬の笑顔たちがまっすぐ育って新しい時代をつくってくれること。
 真新しいビルが建たなくても、私の中ではそれは素晴らしい復興に見えることでしょう。

 ・・・また書いては消し、書いては消しの連続でした(笑)。当たり障りないところに落ち着いちゃった。嫌な頭痛持ちです。
 

  
 
Posted by 頭痛持ちのねこ at 2012年05月23日 22:39
震災の事、忘れてはいけないのです。
そして感謝です。住む所があること、電気があること、食べるのもがあること、水があること、すべてに感謝です。
Posted by 飛騨人 at 2012年05月24日 23:39
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東日本、2012
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