2017年03月17日

太陽光発電を考える

東日本大震災の後、原発が見直され、今まで以上に注目され始めた自然エネルギー。

太陽光発電を考える

中でも、CO2を出さず、永遠になくならない太陽の光を利用した太陽光発電は、我々の
身近な生活にも取り入れることのできる、自然エネルギーだ。そのため、大手業者や、
新規のベンチャー企業が乱立し、一時は「太陽光バブル」と呼べるほどの状態となった。

しかし今、そのバブルは、弾けた。太陽光関連会社の2016年の倒産件数は65件。
負債額も過去最高を記録した。

その大きな理由の一つが、固定価格買取制度の大幅なトーンダウンだ。太陽光パネル
で発電した電力を電力会社が買い取るこの制度は、初年度こそ1キロワットあたり企業
向けが40円、家庭向けが42円と高く、まさしくこの金額こそが、新規参入企業を呼び込
んだわけだが、その後、経済産業省が決める買取価格は年々引き下げられていき、
5年目の16年度は、企業向けは初年度よりも40%減の24円、家庭向けは33円と、大き
く減らされてしまう。この買取価格の低下が企業の採算を悪化させ、太陽光発電の右肩
上がりの成長も終わりを告げた。

こうして考えると、当時の国の計算の甘さと、そして大手電力会社の圧力を感じずには
いられないが、何よりも注目すべきは、「高く売れなくなったからやめた」という、相変わ
らずの経済中心の図式である。つまり、再生可能でクリーンな自然エネルギーでさえ、
その原動力は、しょせん「金儲けだった」ということだ。

太陽光発電を考える

その経済中心の自然エネルギー推進の波は、豊かな自然の中にまで押し寄せてきた。
ここは昨年、ニュースなどでも取り上げられ話題となった、瀬戸市海上の森の隣接地に
設置されたメガソーラー。県と市から法令違反を指摘されたのだが、結局パネルの3分
の1を撤去することで決着してしまった。

設置した会社は、2013年に建設計画を瀬戸市に提出。しかし市は「万博の理念を継承
する地域で開発は認められない」と中止を勧告。しかし、この勧告に法的拘束力はなく、
その後いわば「見て見ぬふり」の状態が続き、結果、瀬戸市の伊藤市長は、違法開発を
確認しながらも放置。「2016年2月の市民の指摘で初めて気づいた」という虚偽の説明
をしていたことを陳謝した。

太陽光発電を考える

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ちなみにこの設置業者は、当初は産業廃棄物の処理施設を建てるために土地を取得。
しかし万博のテーマを踏まえて産廃施設は困難と判断し、発電施設に変更したと言う。
つまり、「産廃よりも、太陽光パネルの方がまだまし」という市民感情につけこんだ行為
といえる。

けれども、山を削り、発電施設を作るということは、当然のことながら、大きな環境破壊
である。土砂の流出は元より、里山生態系の破壊、さらには、パネルに草木が付くのを
防ぐため、常に除草剤が使われ、発電能力の低下を防ぐため、パネルの表面が曇らな
いよう化学薬品を塗るのだ。当然それらは大地と水を、汚染していく。

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さらに規模の大きなものがこの、木曽岬干拓地のメガソーラー発電所だ。広さは78ha、
実にナゴヤドーム20個分に相当する。この場所も近くに民家がなく、いわば「空き地」。
計画が持ち上がった時の声は、そのほとんどが、「どうせ使わない土地なら、有効利用
を・・・」というものだった。
「山を削るのは嫌だけど、ヨシ原ならいいんじゃないか?」と考える人は多い・・・。

しかし、人間にとっては経済的に無価値な場所でも、「そこでしか生きていけない命」
がある。

太陽光発電を考える

そのひとつが、猛禽類だ。彼らは広いヨシ原にすみ、そこで狩りをし、子育てをする。
ところがその生活の場に太陽光パネルが敷き詰められると、当然、生きていけなくなる。

矢作川河口も木曽岬干拓地も、このチュウヒやチョウゲンボウ、コチョウゲンボウ、オオ
タカやノスリといった希少な猛禽類たちにとってはいわば、最後に残された聖地、といっ
ていい場所である。我々はあまりにも、そういった命に対して、目を向けてこなかった。

人間にとっては無価値な場所でも、「そこでしか生きていけない命」があるのだ。

太陽光発電を考える

最後に、太陽光発電の、今後増えていくであろうシステムを考える。

大阪狭山市の大鳥池には、水上太陽光発電が作られた。池の水面一面に、太陽光パネ
ルが浮かべられている。しかし当然、光を遮断された水中の植物は光合成ができず枯死
し、それによって水辺生態系全体に影響が出ることは間違いない。また、反射光の影響
で、周辺住民からは苦情の声も上がっている。

福岡市の西部にある蓮花寺池では、1200枚の太陽光パネルが水面を覆う。その生み
出す電力は、一般家庭の使用量、83世帯分。
たった83世帯分の電力を作るために、池のほとんどが、パネルで埋めつくされたのだ。

この水上発電システムは、今後さらに増えていくことが予想される。なぜなら、昨今の農
業の衰退により、本来のため池のもつ役割が不要となり、災害予防も含めたその整備の
ためにお金が必要だからである
。しかしため池は私有地であることが多く、税金の投入ができない。その費用を補うため
に最も良い方法・・・それが、水上太陽光発電システムである・・・・・。
この認識の元、今後各地のため池への導入が増えるのは間違いないだろう。

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クリーンなエネルギーであるはずの太陽光発電。
自然を守るためエネルギーが、結果的に自然を破壊している・・・・・。
これは、まぎれもない事実なのである。

太陽光発電を考える

我々は今一度、原点に立ち戻って考えてみるべきではないだろうか?
それは、そんなにも電力は必要ない、という生き方を選ぶこと

今、絶対に必要だと思いこんでいるエネルギーを、手段を選ばず全て作り出すことでは
なく、ほどほどに抑制し、我慢すること。
そのための方法として、太陽光発電は非常に魅力あるシステムであるし、今後一刻も
早い、優秀な蓄電池の開発も待たれる。・・・・・やはり何事も、お金儲けのために、やり
過ぎてはダメなのだ。自分の家の屋根にパネルを設置し、自分が使う電気を自分で作る
・・・・・それは素晴らしいことだと思う。
・・・・・お日様の恵みをいただく暮らしは、それくらいでちょうどいいのではないだろうか?

               鉄崎幹人オフィシャルウェブサイト http://tetsuzaki.com/



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