2019年05月18日
万葉の散歩道を歩く・その3
東山植物園の「万葉の散歩道」を歩くシリーズ、ラストは・・・
「妹待つと三笠の山の山菅(やますげ)の、止やまずや恋ひむ命死なずは」
「やますげ」とは、このジャノヒゲのこと。・・・あなたのことを待って、止むこと
なくいつまでも恋しています。私の命が続く限りは。・・・って意味の愛の歌。
「道の辺の茨(うまら)の末(うれ)に延(は)ほ豆の、からまる君を別れか
行かむ」・・・作者・丈部鳥(はせつかべのとり)。
ノイバラが登場する歌。道端のノイバラの先に絡みつく豆のように、私に
絡みつく君を置いて別れゆく、って意味なんだが・・・う~ん、重い。この女、
重い。ライトな令和の時代には見られない光景だわ。
「石綱(いわつな)のまた変若(おち)ちかへりあをによし、奈良の都をまたも
見むかも」・・・作者不詳。
諸説あるが、「いわつな」とはテイカカズラのことらしい。
「五月山(さつきやま)卯の花月夜ほととぎす、聞けども飽かずまた鳴かぬかも」
「卯の花」はウツギのこと。
「初春(はつはる)の初子(はつね)の今日の玉箒(たまばはき)、
手に取るからに、揺らく玉の緒」・・・作者・大伴家持。
コウヤボウキを表す「玉箒(たまばはき)」。大昔からこの植物は
ほうきとして使われてたってことだ。
吾妹子(わぎもこ)が見し鞆の浦(とものうら)のむろの木は、
常世(とこよ)にあれど見し人ぞなき」・・・作者・大伴旅人(おおとものたびと)。
「むろの木」とは、ネズのこと。とげとげした植物だ。
妻が見たことのある鞆の浦のむろの木は、いつまでも絶えることなくある
けれど、その妻はもういない・・・う~ん、せつない歌だ。また作者の名前が
「旅人(たびと)」って・・・。今で言う「遊助」みたいなもんか?違うか?違うな。
「道の辺(へ)の尾花が下の思ひ草、今さらさらに何をか思はむ」
この「思ひ草」とはナンバンギセルのことだと言われている。
思い悩むようにうつむいて咲く姿から名づけられたんだろう。ただこの
ナンバンギセルは葉緑素を持たない寄生植物であり、寄生されたイネ
科のイネやススキなどは、養分をとられて死んでしまうこともある。
・・・って考えると、ナンバンギセルを「思ひ草」としたのには、な~んか
深い意味があると思う。確かに身を滅ぼしてしまうような心焦がす恋愛
ってあるもんな。・・・知らんけど。いや知っとるけど。
「妹(いも)が見し楝(あふち)の花は散りぬべし、我が泣く涙いまだ干なくに」
・・・作者・山上憶良。おお~~有名な人やん!
「あふち」というのはセンダンのこと。実がよく鳥に食べられるやつね。
妻が見たセンダンの花はもう散ってしまうでしょう。私の涙はまだ
乾くことがないのに・・・。どうした?何があった?・・・と思って調べたら、
大伴旅人(おおとものたびと)の妻の死に対して、山上憶良が贈った
追悼の歌、ということだった。合掌。
さぁそして最後は秋の七草、いってみよう。
「高円(たかまと)の野辺の秋萩いたづらに、咲きか散るらむ見る人なしに」
・・・万葉集に最も多く登場する植物が、梅でも桜でもなく、ハギ。
「真葛原(まくずはら)靡(なび)く秋風吹くごとに、阿太(あだ)の大野の
萩の花散る」・・・ハギ同様、クズが登場する歌もめっちゃ多い。
「さを鹿の入野の薄(すすき)初尾花(をばな)、いつしかか妹(いも)が
手を枕かむ」・・・ススキの歌もすげー多いんだよなぁ。
じゃあラストは残り4種類、イッキにいきませう。
「萩の花、尾花(をばな)葛花(くずはな)なでしこの花、
をみなへし、また藤袴(ふぢはかま)朝顔の花」・・・作者・山上憶良。
(カワラナデシコ)
(オミナエシ)
(フジバカマ)
(キキョウ。この歌の朝顔はキキョウのこと。)
この歌にすべて登場。山上憶良が万葉集で日本の代表的な秋
の7種の花を詠んだことで、「秋の七草」が決まったわけだ。
しかし昨今、野生の秋の七草すべてを探すことは極めて難しく
なってしまった。日本を代表する花たちだったのに・・・。
いかがでしたか?3回に渡ってお送りしてきた、祝!令和企画、
万葉集と植物たち。
万葉集に収められた和歌は4500あまり。その3分の1の歌に、
なんらかの花や木々が登場する。
当時の人々が、いかに自然を愛していたかがわかる数字だと思う。
やっぱり自然は、ドラマチックかつ、ロマンチックなのだ。
そんないにしえの人々の想いを感じながらの散歩道・・・。
みなさんも一度、歩いてみてはいかが?
Posted by mikihito at 20:49│Comments(0)
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