2016年12月08日
ペットを飼うということ
ホントはドングリ図鑑の2回目をやろうと思ってたけど、けっこう大事な
ニュースを目にしたので、急遽今回のネタはこれにする。
「野良猫対策条例を可決=不妊・去勢で殺処分減・神戸市議会」
(12月5日・時事通信より抜粋)
神戸市議会は5日の本会議で、野良猫の繁殖を抑制し、殺処分の減少を目指す
「神戸市人と猫との共生に関する条例」を全会一致で可決した。
2017年4月から施行。市によると、猫の繁殖規制に特化した条例は全国初という。
条例は市の責務として、野良猫に不妊・去勢手術をして地域へ戻す繁殖制限事業
を支援すると明記。猫が死ぬまで適切に飼う飼い主の責務なども定めた。
また市は17年度、野良猫の不妊・去勢手術を公費で負担する方針を固めている。
お~~いいことじゃないか。どんどんやるべきだ。
最近、とんと野良犬は見なくなったが、それに比べ野良ネコの多いこと多いこと。
全国各地で「エサやり問題」やら「糞尿被害」があとを絶たない中、少しでもその数を
減らすための税金投入。「不妊・去勢手術なんてかわいそう!」なんてネコ好きたちも
いるかもしれんが、強制的に保健所連れて行かれ、ガスで殺されるイヌに比べ、ネコ
は再放流してもらえるワケだから幸せだ。しかも税金使って。
そういえば昔のホームページに載せてたエッセイに、「ペット論」なるものがあったので、
ちょっと再掲載したいと思う。長くなって申し訳ないけど。・・・13年前のエッセイです。
2003年9月9日 「ペット論」
(前略)
果たして、ペットって一体何だろう、とふと思う事がある。
ペットに癒しを求める人もいればペットで淋しさを紛らす人もいれば、
本当に家族の一員だと可愛がる人もいよう。 でも、本当にペットって家族なのか?
私の中ではペットはペット以上の何者でもないと位置付けている。
以前、16年飼っていた柴犬が皮膚病にかかり老衰も重なって歩けなくなった時、
私と母はその犬を注射で安楽死させてやったことがある。病院に連れていく最後の朝、
風呂に入れ、体を洗ってやったときの幸せそうな顔を一生忘れることができない。
そして、彼はその後、主の腕の中で、吠えもせず鳴きもせず、静かに息を引き取った。
ペットに対する生殺与奪権は全て飼い主にある。ペットの命を考える時、
「犬や猫の生きる権利」と言った時点で、ペット問題に関する議論は停止する。
愛護団体のよく言う、「犬や猫」の生きる権利などでは無く、全ては、
「人間がペットの生き死にを管理する義務」として語られなければならない。
(中略)
ペットは、飼えないのなら、飼い主の手で殺してやるべきである。
処分場で順番を待つ犬の目を見たことがあるだろうか?愛を理解できる生きものとして、
最も哀れな結末。天寿をまっとうさせてやれないのなら、せめて飼い主はその腕で抱き
しめ、静かに天に送ってやる・・・・。
かつて愛し、愛された思い出と共に。それが最低限の責任であり、義務ではないか。
う~ん・・・重い(笑)。この回のエッセイには、まだまだいろんなことを書いてたのだが、
要するに言いたいことはただひとつ。・・・・・「人間の責任について」。それだけだ。
これはペットの飼育だけではなく、今、日本中を覆っている問題だ。
「義務」を果たさず「権利」を主張し、「責任」を果たさず「自由」だけを求める。
野良ネコ問題は、全てがそこから始まっている。
そこで今日はもうひとつ、とある猟師さんの「責任のとり方」を伝えたいと思う。
長野県に暮らす猟師のAさん。獣害対策として年に何頭ものイノシシを狩っている。
と同時に、彼は自分の家の敷地内で、数頭のイノシシの飼育もしているのだ。
イノシシを狩る猟師がイノシシを飼う・・・?
おかしなことかもしれないが、もともと動物の好きな人なのだ。しかもこの中には、
ワナにかかったり、親が死んだりして保護した子供のイノシシも混ざっている。
ところがたまたまその日、飼育柵の裂け目から、1頭のイノシシが逃げ出して
しまった。
雪をかき分けかき分け、一生懸命、森へ逃げ込もうとする1頭のイノシシ。
けれど、人間が管理する柵内から一歩でも外へ出てしまったこの生きものは・・・
「野生獣」となる。そしてその瞬間、飼育していた側には、「責任」が生ずるのだ。
猟師は、躊躇なく、撃った。
そして・・・・・祈った。
この後、このイノシシは猪鍋となり、たくさんの人々の胃袋を満たすことになる。
可愛がっていたイノシシに銃を向ける瞬間、この人は何を思ったのだろう?
いや、きっと何も考えなかったはずだ。それよりも先に、「取るべき行動」により、
本能的に、体が動いたのだと思う。
「感情」より「責任」。・・・・・それは、日頃から命のやりとりをする猟師だからこそ
の、当然の行動だったのだ。
ペットを飼う時に大事なことは何なのか。これはイヌやネコに限らず、魚も鳥もカメも
同じことである。何度も言うが、「感情よりも責任」。これを忘れてはならない。
生きものに対し、不妊・去勢手術を施すのは本来、かわいそうで残酷なことだ。
こんなもの、人間の身勝手でしかない。
けれど、もっとも大切なのは、「今後これ以上、手術を増やさないこと」だ。
そのために今、しなくてはならないことがある。
環境省が発表した平成26年度の殺処分数。イヌ、21,593匹、ネコ、79,745匹。
合計101,338匹。
・・・・・これが、人間の商売欲や、身勝手や、無責任さが招いた、悲愴な死の数である。
鉄崎幹人オフィシャルウェブサイト http://tetsuzaki.com/
ニュースを目にしたので、急遽今回のネタはこれにする。
「野良猫対策条例を可決=不妊・去勢で殺処分減・神戸市議会」
(12月5日・時事通信より抜粋)
神戸市議会は5日の本会議で、野良猫の繁殖を抑制し、殺処分の減少を目指す
「神戸市人と猫との共生に関する条例」を全会一致で可決した。
2017年4月から施行。市によると、猫の繁殖規制に特化した条例は全国初という。
条例は市の責務として、野良猫に不妊・去勢手術をして地域へ戻す繁殖制限事業
を支援すると明記。猫が死ぬまで適切に飼う飼い主の責務なども定めた。
また市は17年度、野良猫の不妊・去勢手術を公費で負担する方針を固めている。
お~~いいことじゃないか。どんどんやるべきだ。
最近、とんと野良犬は見なくなったが、それに比べ野良ネコの多いこと多いこと。
全国各地で「エサやり問題」やら「糞尿被害」があとを絶たない中、少しでもその数を
減らすための税金投入。「不妊・去勢手術なんてかわいそう!」なんてネコ好きたちも
いるかもしれんが、強制的に保健所連れて行かれ、ガスで殺されるイヌに比べ、ネコ
は再放流してもらえるワケだから幸せだ。しかも税金使って。
そういえば昔のホームページに載せてたエッセイに、「ペット論」なるものがあったので、
ちょっと再掲載したいと思う。長くなって申し訳ないけど。・・・13年前のエッセイです。
2003年9月9日 「ペット論」
(前略)
果たして、ペットって一体何だろう、とふと思う事がある。
ペットに癒しを求める人もいればペットで淋しさを紛らす人もいれば、
本当に家族の一員だと可愛がる人もいよう。 でも、本当にペットって家族なのか?
私の中ではペットはペット以上の何者でもないと位置付けている。
以前、16年飼っていた柴犬が皮膚病にかかり老衰も重なって歩けなくなった時、
私と母はその犬を注射で安楽死させてやったことがある。病院に連れていく最後の朝、
風呂に入れ、体を洗ってやったときの幸せそうな顔を一生忘れることができない。
そして、彼はその後、主の腕の中で、吠えもせず鳴きもせず、静かに息を引き取った。
ペットに対する生殺与奪権は全て飼い主にある。ペットの命を考える時、
「犬や猫の生きる権利」と言った時点で、ペット問題に関する議論は停止する。
愛護団体のよく言う、「犬や猫」の生きる権利などでは無く、全ては、
「人間がペットの生き死にを管理する義務」として語られなければならない。
(中略)
ペットは、飼えないのなら、飼い主の手で殺してやるべきである。
処分場で順番を待つ犬の目を見たことがあるだろうか?愛を理解できる生きものとして、
最も哀れな結末。天寿をまっとうさせてやれないのなら、せめて飼い主はその腕で抱き
しめ、静かに天に送ってやる・・・・。
かつて愛し、愛された思い出と共に。それが最低限の責任であり、義務ではないか。
う~ん・・・重い(笑)。この回のエッセイには、まだまだいろんなことを書いてたのだが、
要するに言いたいことはただひとつ。・・・・・「人間の責任について」。それだけだ。
これはペットの飼育だけではなく、今、日本中を覆っている問題だ。
「義務」を果たさず「権利」を主張し、「責任」を果たさず「自由」だけを求める。
野良ネコ問題は、全てがそこから始まっている。
そこで今日はもうひとつ、とある猟師さんの「責任のとり方」を伝えたいと思う。
長野県に暮らす猟師のAさん。獣害対策として年に何頭ものイノシシを狩っている。
と同時に、彼は自分の家の敷地内で、数頭のイノシシの飼育もしているのだ。
イノシシを狩る猟師がイノシシを飼う・・・?
おかしなことかもしれないが、もともと動物の好きな人なのだ。しかもこの中には、
ワナにかかったり、親が死んだりして保護した子供のイノシシも混ざっている。
ところがたまたまその日、飼育柵の裂け目から、1頭のイノシシが逃げ出して
しまった。
雪をかき分けかき分け、一生懸命、森へ逃げ込もうとする1頭のイノシシ。
けれど、人間が管理する柵内から一歩でも外へ出てしまったこの生きものは・・・
「野生獣」となる。そしてその瞬間、飼育していた側には、「責任」が生ずるのだ。
猟師は、躊躇なく、撃った。
そして・・・・・祈った。
この後、このイノシシは猪鍋となり、たくさんの人々の胃袋を満たすことになる。
可愛がっていたイノシシに銃を向ける瞬間、この人は何を思ったのだろう?
いや、きっと何も考えなかったはずだ。それよりも先に、「取るべき行動」により、
本能的に、体が動いたのだと思う。
「感情」より「責任」。・・・・・それは、日頃から命のやりとりをする猟師だからこそ
の、当然の行動だったのだ。
ペットを飼う時に大事なことは何なのか。これはイヌやネコに限らず、魚も鳥もカメも
同じことである。何度も言うが、「感情よりも責任」。これを忘れてはならない。
生きものに対し、不妊・去勢手術を施すのは本来、かわいそうで残酷なことだ。
こんなもの、人間の身勝手でしかない。
けれど、もっとも大切なのは、「今後これ以上、手術を増やさないこと」だ。
そのために今、しなくてはならないことがある。
環境省が発表した平成26年度の殺処分数。イヌ、21,593匹、ネコ、79,745匹。
合計101,338匹。
・・・・・これが、人間の商売欲や、身勝手や、無責任さが招いた、悲愴な死の数である。
鉄崎幹人オフィシャルウェブサイト http://tetsuzaki.com/
Posted by mikihito at 22:46│Comments(0)
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